2020年10月25日日曜日

勢いの末路

「やるなら今しかねぇ」

“北の国から’92巣立ち”のなかで、黒板五郎さんが口ずさんでいた歌の一節だが、この言葉は本当にすごいパワーワードだと思う。

汎用水中撮影システム OUTEX

先日、職場でPCに向かっていると、後輩が報告してきた。

「俺、水中機材揃えましたよ。Outexにしました。」

「あうてっくす…なんだね、それは?」

「クラウドファンディングで開発されたゴム製のハウジング(※:水中撮影で使うカメラの防水ケース)です。どんなカメラとレンズの組み合わせでも入るんですよ。」

なんと、”どんなカメラとレンズの組み合わせ”でも入る汎用のハウジングとな。

ハウジングは基本、各カメラの操作系に合わせて作られる。同じメーカーのカメラでも機種によってボタンの位置や大きさが違うので、1機種に対応するものは他の機種には使えない。現在、一眼カメラを出しているメーカーのうち、純正でハウジングを出しているメーカーはオリンパスのみだ。そんなわけで私は選択の余地なくオリンパスカメラのユーザーである。

一方、後輩はキャノンユーザー。彼とは一週間後に北海道に水中写真を撮りに行く予定であった。キャノンのカメラの場合、ハウジング専門メーカーのものを使わねばならない。そして、これがまた一般人にはとても手が出ないくらいに高い。カメラ本体のハウジングと、それにつけるレンズポート(※:レンズ部のハウジング)を合わせると30~40万は軽くかかってしまう。それがOutexならば数万程度(それでも安くはないが)で済む。しかも、カメラもレンズも種類は問わない。彼にとって、Outexとやらはかなり現実的な選択肢だったのであろう。

早速後輩を横に「Outex」と検索してみると、検索上位にはバイクのパーツサイトがたくさん出てくる。どうやらハウジングとしてのOutexは、まだあまり知名度は高くないらしい。

それならばと、「Outex housing」といれると目的のページが現れた。英語オンリーの海外サイトだ。ホームページのつくりはスッキリと洗練されており、なかなかの好印象を受ける。

https://outex.com/

なるほどなるほど、カメラのところだけ膨らんだゴム筒のようなものに、レンズをつけたカメラを収め、レンズのフィルター径と併せたガラス蓋で密閉する構造なのだな。確かにこれならば、かなりのカメラとレンズの組み合わせをカバーできそうである。

「レンズの部分が固定されてるのが良いんですよね。」後輩が言う。

そうなのだ。かつてこれに類似した汎用のビニールケース的な商品を使用したことがある。その時はレンズ部分が固定されておらず、カメラレンズとハウジングのレンズがガシガシと当たってしまっていた。結果として、ハウジングのレンズ部内側が傷だらけになってしまったのだ。特に、あれの場合はハウジングのレンズ部がアクリル製だったので傷が着き放題だったのである。

Outexだと、ハウジングのガラス蓋(レンズ)をカメラレンズのフィルター装着部で固定するので安心だし、レンズ部はガラス製で画質もよさそうだ。

ゴム筒は半透明で、頑張ればカバーをつけてもボタン類や液晶を透かし見ることもできる。ただ、いかんせん見にくいので、カメラの後部にもガラスをはめるPro Kitなるものも準備されているようだ。

背面。ホコリがいっぱいついているのはご愛敬

個人的に気になったのはストロボである。ストロボ用のアーム類をつけるカバーや拡張パーツもあるのだが、これが一体どう接続すればよいのかわからない(しかも、いろいろそろえると高そうだ)。しかし、普通のカバーでも筐体の小さいE-M1であれば、ある程度余裕がある。正面一灯で良いならば、ストロボをつけたまま収められそうだ。なんならゴムカバーがデフューザーにもなりそうで、なかなかではないか。

北海道に行くのは一週間後という"時間的制限"、"手持ち機材の古さ"、陸上で使っている"E-M1とM.Zuiko12-40mmを水中で使える魅力"、さらには"後輩の軽妙なセールトーク"…これらの要因が重なりあい、私の頭の中ではすでに”五郎さん"が歌いはじめていた。「やるならいましかねぇ!」


サイトの流れに身を任せ、購入ページまで進んでいくと、これがまたよくできている。カナダのメーカーらしいが、郵便番号を入れると日本の自宅の住所が表示される。海外注文でよくあるように「日本の住所って英語でどう書くんだっけ…」などとつまらぬことで悩まなくてよいのだ。オンライン決済も出来てしまうし、購入までの流れがストレスフリーに近い。こうなってはもう抵抗は不可能である。

あれよあれよという間にEntry CoverとFront Glass(Entry Kitと同等だがバラで買ったほうが安かったので)を購入してしまった。

待つこと3日。

Fedex Express郵送によりOutexは、はるばるカナダよりあっさりと自宅に到着した。

届いたOutexを眺めてみると、やはり小さい。ポケットサイズではないか。

これで一眼の水中撮影ができるなんて夢のようである。カメラを収納してみると、もともとE-M1は、他社の一眼レフと比べれば小さいので難なく入る。ストロボはE-M1付属の標準ストロボを使うは無理そうなので、あらかじめOLYMPUS-PENシリーズ用の高さの低いFL-LM1を用意しておいた。これをつけて収納すると流石にちょっと窮屈で、ストロボ部だけ四角くゴムが突っ張ってしまう。それでも、なんとか入らないことはない。十分実用可能と判断した。

折りたためばポケットサイズ

さて、所変わって北海道。私と後輩はサクラマスとカワシンジュガイを探していた。9月中旬の道北は、サクラマスにとってはもう遅い時期で、見かけるのは産卵後の斃死個体ばかり。

撮影内容自体はそれほど芳しくはなかったものの、Outexは機能通りに使えていた。ストロボもうまく機能していたし、画質もクリアだ。コンパクトなので持ち運びはもちろん、ちょっと立ち寄った川にもライトな気分で持って入れる。

機動力というのは数字に出ないカメラスペックであるが、重要な要素であると再認識した。

一方で、いかんせんゴム製だけに、カメラのダイヤルやレンズのズームリングが回りにくい。回した後にちょっとした戻りがあるのだ。また、設定変更時には、カメラ本体の小さなボタンをそのまま押すことになるので、手袋をつけたままでは操作しづらい。液晶が見づらいのはPro Kitを買えばいい話であるが、ボタンの押しづらさはどうしても残るだろうなぁ…。

どうやら、このアイテムは素手で操作するのが前提で作られているようだ。川や海のなかにガッツリ沈めるのではなく、湿地や海水浴など、「濡れる可能性がある場所」あるいは「ちょっとだけ沈めて取りたい場所」でこそ真価を発揮できる機材のように感じた。


さて、4本ほど川をめぐったあたりだろうか。カワシンジュガイの撮影をしていると、シャッターが切れたり切れなかったり、どうもカメラの調子が悪いような気がした。

「おいおい、勘弁してくれよこんな時に!」

カメラの処理能力がいっぱいになって動きが鈍ったのかと思いながら撮影を続けると、今度は突然「カカカカカッ!」と猛烈な連射を始めるではないか。シャッターボタンを離しても連射はやまない。

驚いて手元を見ると、カメラの液晶部とカバーがくっついて画面が妙にクリアーだ。

「むぁっ!水没かっ!」

陸上へとあがって、しげしげと見れば、時すでに遅し。

Outexのゴムカバーの底には2mmほどの水が…

水没の原因は明らかで、ストロボの角ばった部分のゴムが伸び、一部に穴が開いていたのだ。個人的には多少浸水したって「E-M1は防塵防滴なので大丈夫だ」と思っていたのだが、ストロボとの接合部にはカバーがないことを思い出した。水はそこから来ているようだった…

思い出すのは、ゲームやマンガに夢中になっているときに、母親に声をかけられても生返事ばかりしていると、ついには雷が降ってくるという少年時代のあのパターン。初期の段階で対応していれば被害はもっと少なかったのだろう。特に被写体はカワシンジュガイ。少々目を離したって動くものではなかった。しかし、私という人間はそんなに器用にできていないらしい。世間のパソコンはコアが4個だ6個だと言っている中、私の頭はいつまでたっても1コアなのだ。

ちなみに愛機E-M1、最終的にはシャッターすら切れなくなり、電源を入れると白画面の液晶に、手振れ補正の「コォォォー」という音だけがなる、怪音を発するマグネシウム合金の小箱と化した。


Outexの名誉の為に報告しておくと、適正な使い方をしていた後輩のほうは最後まで通常使用にまったく支障をきたしていない。つまり、この不具合は、無理やりストロボを突っ込むという不適切な使用が生んだものであることは書いておかねばなるまい。Outexの日本での使用者は、多分まだほとんどいないのではないかと思う。そういう意味ではこのブログはかなり早い段階での使用レポートになろうかと思うが、その内容がこんな感じでOutexには誠に申し訳ない限りである。


さて、話はもう少し続く。この時点での私は、カメラを失ったダメージよりも、この先どうやって写真を撮るかに思考が向いていた。また、Outexをこのままただの”穴あきゴム”なるデンジャラスアイテムのままにしておくことにも我慢がならなかった。さらにいえば、「北海道でのサケマスの産卵を目撃するこの時間は取り戻せるものではないのだ!」的な勢いもついていた。

その日の工程が終わり次第、ホームセンターへ駆け込み、接着剤”スーパーXブラック”を購入。即刻穴をふさぐと、再び脳内には黒板五郎が登場した。もう、頭の中では口をとんがらせながら「やるならいましかねぇ!」とコブシをふるいっぱなしである。

翌日、北見のカメラのキタムラに駆け込むと、勢い、E-M1markIIを購入してしまった。カメラの購入など実に5年?ぶりである。

以降の撮影はこのカメラをOutexにはめて使った。

つまり、穴があいて水没したゴムに簡易補修だけ施し、大枚はたいたNEWカメラに装着し、水中に突っ込む、という極めてリスキーな行為をとっていたわけだ。幸いにもそれ以上の2次災害は生むことなく、それなりの撮影成果も得ることができたが、思い返してみるとなかなかの鳥肌ものである。

北海道から戻った現在、印象に残っているのは「やるならいましかねぇ!」の精神がもたらす”脳内リスクマネジメントシステム無効機能”の凄まじさのみである。

カメラに関してはと言えば、E-M1を失ったダメージと、勢いで買ってしまった後ろめたさが混ざりあい、新しいカメラについて触れる気が起きない。せっかく買ったのに、新しい機能や画質を確認することすらしたいと思わないのだ。むしろ目につかないように遠ざけている感すらあり、昔から愛用している古い水中用のカメラシステム(E-PL5)の強化を考えはじめたくらいである。多分、人間の脳には、勢いで起こした過去の行動を忘れようとする機構があるのではないかと思う。

一応撮れたカラフトマス。ストロボがないのでメリハリがイマイチ。



2020年10月16日金曜日

野外でこそ輝くもの

学生時代を過ごした京都に、縁あって今でも年に一回は通っている。基本は魚の調査のための訪問で、川に設置した観測機器のデータ回収をし、その後にお師匠と一緒に水中を見るというのが大体いつもの流れである。
しかし、今回は台風直後ということもあり、川は増水し、透明度も低い。こうなると川に長居は無用である。一通りの作業を終えると、お師匠が事前に用意していた”プランB”を速やかに発動した。
まず目指したのは観光用に運営されている馬車の駅である。車で向かうこと20分、馬車駅に到着。しかし、小屋には馬はおらず、管理人さんだけがいた。「あのー、馬糞をいただけないでしょうか?」とお願いすると、多少戸惑いながらも、「あと20分もすれば帰ってきますよ。馬が出してれば持っていっても良いですよ。」との返事を頂く。ありがたいことに、馬が糞をしたかどうかの連絡までとってもらえた。
20分後には馬車が到着。早速、お師匠は二重にしたジップロックを持ち、手袋をして小屋に向かった。糞はプラ舟の中に集められていた。プラ舟からジップロックに糞を詰めるお師匠。スーパーの特売並みに袋に入れるのかと思いきや、詰める量がなんだか控えめだ。「他に馬の糞を欲しがる人もいないだろうし、安心して詰めれば良いのに…」そう言うと、お師匠はまたも控えめに2つかみほどの馬糞をジップロックに足した。
馬糞を詰める

さて、糞を詰めている間、馬車の管理人さんとしばらくお話をした。それはそうだろう。馬糞なんて一体何に使うのか、普通は気になる。生き物を見るためのトラップに使うと説明すると、「ああ、ウチの牧場にも虫ならくるよ。緑のとか、赤色のとか、ハエみたいなのが…」どうやら我々はハエを集めていると思われたようだ。一応違うのだと説明はしたが、通じただろうか。まぁ、通じたとしてもイメージに大して変わりはないだろうけれど。
我々のイメージはともかく、馬糞を快く分けていただいて馬車関係者の方々には感謝しかない。

実は鮮度の良い生の糞を手に入れるのは結構大変だ。肥料用に売っている牛糞などは、発酵処理済みで、今回の用途では決定的に匂いが足りない。仮に事前に新鮮な糞を手に入れる機会があったとしても、保存が問題だ。放置しておけば糞は必ず劣化する。糞の劣化とか、もはやよくわからない世界であるが、とにかく糞は生ものなのである。手練れの方々は冷凍庫に入れて保存するらしいが、一般の家族持ちには無理な話だ。よほど理解のある奥さんであれば話は別であろうが、誠に勝手ながら、そこまで理解がある女性だと、個人的には”ちょっと苦手”かもしれない。

首尾よく新鮮な糞を手に入れた我々の次なる目的地は奈良である。ベストは奈良公園付近なのだが、恐れ多くも世界遺産、かつ周辺は特別天然記念物のエリアである。当たり前だが採集などもってのほか。そんなところで採集した日には生物屋としての未来はない。お師匠はこの日のために、少し離れた採集可能エリアでのベストスポットを検討に検討を重ねていたらしい。リサーチしたポイントをカーナビに入力し、高速を走ること1時間。現地に到着した。

さすがにお師匠が全力で検討を重ねただけある地点である。なんというか、申し分がない樹林地だった。地点付近の林と民地との境界は鉄柵が並び、檻トラップがかかっている。やはりこの地でも獣害はひどいのだろう。ただ、我々の目的から考えるに、これは周囲に獣が多いということ。つまり、獣の糞を利用する生き物も多いということを示しており、これはこれで期待をそそる。手ごろな場所に5か所ほどのトラップを設置した。あとはしばらく放置するだけである。

トラップ回収までの間、奈良の主要部に戻り、食事をとることにした。食事は川魚関連のお店をチョイス。今回選んだのは、「柿の葉寿司総本家 平宗」さんである。ここには、酢締めの鮎を使った「献上鮎すし」なるメニューがあるのだが、残念ながらこれは8月限定とのことで食せなかった。代わりに「焼鮎すし」をいただく。鮎の開きの塩焼き(干物かな)が丸ごと一尾酢飯の上に載っており、じっくり焼き上げているせいか、鰭も変に目立つことなくさっくりと食べられる。塩加減も上品に抑えられており、美味であった。
焼鮎すし

食べ終わると、今度は奈良の街を歩く。うーむ。またも世界遺産か。このところ毎週のように世界遺産(今回は世界文化遺産)に行っている。忙しくて実感はしにくいものの、なんだかとても贅沢な時間を過ごしている気がする。
興福寺五重塔。糞の元(シカ)もいる。

それにしても奈良に来たのなんて何年ぶりだろう。それこそ修学旅行以来かもしれない。五重塔がある興福寺近辺を歩いていると、やはり目に付くのはシカとその糞。お師匠はシカを見るにつけ「糞の元がいる!」と口にするし、気のせいか目線は下向きだ。そんな邪念を振り払うべく、我々は国宝館へと向かい、阿修羅像はじめ、数々の仏像と対峙し、心を洗った。
そして、「国宝級の仏像はすごかった…」などと話しながら、再び馬糞トラップの待つ山へと向かったのだった。

トラップをかけてから経過すること2時間半。短時間ではあるが、はたして狙いの奴らは来ているだろうか?
不安は無きにしもあらずではあったが、相手は昼行性、かつ柔らかめの糞を好む。決着は早めにつくはずだ。さらに天候は台風一過で、適度に湿気のある晴れでほぼ無風というベストコンディション。ある程度勝算はあった。これでいないとすれば時期が悪かったということだろう。
現地に着いてトラップを眺めると、見た感じ糞の上に載っているのはハエばかり。失敗か?と思った次の瞬間、お師匠が気づく。「おっ!糞に穴空いてるじゃん!」すかさずピンセットで糞を掘り起こしていくお師匠。すると…おおぅ。
おお?糞に穴が…
坑道の奥にはオオセンチコガネ!

糞の中から出てきたのは見事な緑色のコガネムシ。オオセンチコガネだ。
いや、つくづく「黄金虫」とはよく言ったものである。糞の中にたたずむその姿の美しいことといったら…それこそ筆舌に尽くしがたい。
とりあえず、一頭をゲットし、「ゼロじゃなくてよかった。」と安堵する。しかしそれも束の間、お師匠は手グワを取り出し、ザッカザッカと糞の下の土を掘り始めた。
ここ数年、お師匠は年をとったなぁ…と感じていた。仕事の内容も胃の痛むデリケートな内容のものが多かったしなぁ…大変だっただろうなぁ…なんて思っていたのだが、この動きは往年の動きそのもの。みごと、土中からもう1頭を掘り出したのだった。
緑色のオオセンチコガネ。是非写真をクリックしてほしい。この色合いと造形、ヤバイから。

ここまでのところ大成功…かと思えたが、実は目指していたのはこの色のオオセンチコガネではない。とはいえ、1つ目のトラップで、時季も場所も外していないことは確認できた。
勢いづいて2つ目のトラップに向かうと、今度は明らかに1つ目よりもたくさんの穴が開いている!
掘り起こすと出るわ出るわ、普通のセンチコガネも混ざりながら全部で15頭くらい出てきたのではないだろうか。そして、その中には光り輝く青色のオオセンチコガネ、そう、目指していた通称”ルリセンチコガネ”、が!
この後も順調にトラップを回収し、さらに数個体のルリセンチコガネを採集したのであった。
かくして、プランBは、トラップ原料(糞)の入手、川魚料理堪能、世界遺産観光、ルリセンチコガネの採集、全ての工程をほとんどロスなくこなすというJTBのツアーでもここまで出来なかろうという完璧なる結果で幕を閉じたのである。
(※:目的達成後、馬糞は迷惑にならないように土中深く埋めております。)
ルリセンチコガネ

今回の採集はお師匠のプランに従って行った形であった。普段の私は昆虫をほとんど採らない。感覚としては「もー、わざわざ奈良までなんて、お師匠も好きだなー」くらいのテンションだったのである。しかし実際、「想定したトラップに想定通りの虫が来る」という状況を目にすると、なんとも言えない「おおおぉ!」という快感があった。加えて、糞の中に坑道を掘って潜むオオセンチコガネの姿は、今まで見たどの標本よりも、外で見つけたどの個体よりも美しく、それはそれは感動的なものであった。
 
私は野生生物の飼育欲求はほとんどなく、野外で見たいタイプの人間だ。淡水魚の場合だと、野外で出会った個体を水槽に移して飼育すると、魅力は半減以下に感じてしまう。本来早瀬にいる魚が、流れのない水槽で冷凍赤虫を食っている姿などを見てしまうと、見ていてなんだかやるせなくなってしまうのだ。やはり、野生生物は野外でその生態と併せて見てこそ輝くものであると思っている。今回見たオオセンチコガネ自体は珍しい虫でもなく、日本全国で結構普通に見られる昆虫である。しかし、新鮮な糞の中にたたずむ姿を見たのは初めてで、「こんな短時間で飛来して、糞を食っている!」という生態を体感した何とも言えない感動が、この黄金虫の美しさを倍増させたのは間違いない。
そういえば、お師匠の手グワで土を起こす時の鬼気迫るあの表情、そして素手にオオセンチコガネを乗せて高笑うあの姿、あれらを見た時にもなんだかオオセンチコガネを目にした時と似たような感覚を感じたなぁ…少なくとも、仕事場や義務的な調査では絶対に見られない姿で、なんなら後光すらさしていた気がする。あぁ、なるほど、そうか。あの人もまた、野外でこそ輝く生き物の一種なのかもしれないなぁ。

おかしいなぁ、最初は手袋してたんだけど…
家に帰り、ヤマビル被弾に気付く。そりゃいるよな。あんな獣臭い場所。油断しました。
家に帰って気付いたヤマビル被弾跡。あれだけ獣がいるんだもの、そりゃいるよね。油断した。






2020年10月8日木曜日

妄想捨て難く

いつぞやの某国家試験にて、「日本の世界自然遺産のうち、2箇所について特徴と課題、および課題の解決策を示せ」的な問題が出た。そこで当時の私が選んだのが知床と小笠原。よもや今年、2週間程度の間に両方行くことになろうとは…
つくづく縁ってあるものだなぁと感じる今日この頃である。
知床に関してはこれまでも何度か行っているのだが、小笠原は初めて。なんせ移動は船のみ。週一便しかないうえに、所要時間は東京竹芝桟橋から24時間である。旅程は最短でも5泊6日(現地は実質3日)を要し、お金的にも時間的にもそうそう行けたものではない。
フェリーにまとわりついてきたのはカモメ…ではなく、カツオドリでした。

フェリーに乗るなんて学生時代以来である。
おそるおそる竹芝桟橋でチェックインすると、オデコにピッと体温計を当てられた後、わりとあっけなく客室に通された。客室は特二等寝台。コロナで乗客数を制限しているため、隣のベッドに人はおらず精神的にだいぶ楽に過ごせた。とはいえ、ネット環境はないし、甲板に出られる時間も限られている。売店に行くか、本を読むくらいしかすることがない。物書きでもすればと思ったが、これもなかなか気が進まない。時間があったってしないものはしないものなのだなぁ…なんて考えているうちに、パソコンすら開かずに長いはずのクルーズは終了へと向かっていった。
しかし、世の喧騒と隔離され、いろいろ諦められる空間というのも、たまには良いものである。横になって揺られているうちに驚くほどの時間寝た。ここ10年のうちで一番長く寝たのではなかろうか。
島が近くなり、甲板が開放されたので外に出ると、10月の関東では懐かしくなりつつある”湿度の高いムッとした空気”に包まれる。そして、フェリーの周りには飛び回る海鳥。一見、どこのフェリーでもありそうな光景だが、飛び回っているのはカモメ…ではなく、カツオドリ。いきなり南の島に来たことを実感したのでありました。

さて、今回はたまたま仕事があったから来ることができたのではあるが、それゆえに日中に自由な時間はほとんどなかった。最終日には多少の時間はあったが、南西に後に台風14号となる熱帯低気圧が出現し、なかなかの風雨。海洋系アクティビティなど夢のまた夢。川も増水して茶色に…。
そんな中でも”何かしらの収穫を!”との思いで川をチマチマと探索し、タネカワハゼ、チチブモドキ、グッピー(萎)、オオウナギ、オガサワラヨシノボリには出会うことができた。
小笠原父島は、島自体大きくない上、山も低いせいか、存在する川はことごとく小さい。行動した範囲内では、水深は深くても20cm、川幅は1m以下の川しか目にしなかった。渇水期なんか水が枯れるんではないだろうか…
こんな小規模な場所でもきっちり独自の進化をしているヨシノボリという魚、恐るべしである。こやつらの祖先は一体どうやってここまで来たのやら。
タネカワハゼ
チチブモドキ
オオウナギ
オガサワラヨシノボリ コンディション悪し。撮りなおしたい…
オオウナギ…とグッピー
淡水魚以外にも、いろいろな生物を見ることができたのだが、ここで痛感したのが予習不足。
いやね、私でも固有種で構成された島嶼生態系があることや、それが外来種に脅かされていることくらいは知ってましたよ。
が、いかんせん知識が浅いんです。目にするあらゆるものの種名がわからない。なんなら外来種と在来種の区別もつかない。鳥とか魚はまだ良いのだが、カタツムリや昆虫、植物は少しでも予習しておくべきだったかと反省している次第である。
まぁ、あくまで主目的は仕事である。私の極めて限られた頭のリソースをそちらにばかり割いていたらそれはそれで問題なので、致し方ないところではあろう。仕事中はいろいろと気になるものを目にしながらも、もやもやと過ごしていた。最終日になってビジターセンターに入り、ようやく「あぁ、あれってそういうことだったのか」と、膝を打つことしきり。
できることならいろんなものをもう一度見たい…。
やはり世界遺産では最初にビジターセンターに来るべきですな。正直、今回の感じは、予備知識もなく行った修学旅行の京都寺社巡りと似ていた。当たり前といえば当たり前だけれど、物も場所も生き物も、背景があってこそ楽しみが増すものなのですな。
小笠原ビジターセンター 最初に行ったけばよかった!いや、そんな時間はなかったが…
ビジターセンターでもらえるパンフレット類。最近のビジターセンターのパンフレットは素晴らしい。ここのも秀逸。かなりのことが学べます。

正直に申し上げますと、今回来るまで小笠原諸島には「青い海で若いおねいさん達が素肌あらわにキャッキャと海洋系アクティビティを楽しんでいる」というヨコシマ極まりないイメージを抱いておりました。が、実際行ってみると、コロナのご時世もあってか、そうした印象はあまり強くは受けなかった。
確かに、ホエールウォッチングやドルフィンスイムなどの海洋系アクティビティは、小笠原観光の主力のようである。しかし、父島二見港周辺は、おねいさんも多少はいたが、どちらかというと私と同年代ないしはちょい上のナイスミドルや家族連れが多く、落ちついた雰囲気であった。カラスも、スズメも、カモメも、トビもいない静けさがより一層そう感じさせたのかもしれない。
目にする光景と妄想アイランドとのギャップは、私に冷静さを取り戻させる。よくよく考えれば、これらの海洋系アクティビティ、東京から船に24時間も揺られて来なくても、伊豆や沖縄あたりでも十分に堪能できそうなものである。
もちろん、これらのアクティビティにもこの島ならではの良さもあろう。しかし、わざわざ小笠原までくるからには、”ここ固有の陸域生態系を味わうのが本質ではないか?”、生物屋の端くれとしてはそう思えてきたのだ。ただし、知床のようにサケマスが大量に遡上するわけでもなく、ヒグマやエゾシカのような大型哺乳類がいるわけでもない。そういう意味では、知床ほどのダイナミックさはなさそうだ。オガサワラオオコウモリとかアオウミガメ、海鳥類などの主役級もいるにはいるが、この地を堪能するには、どちらかといえば、植物、昆虫、陸産貝類あたりをじっくり観察し、進化の実例を噛みしめるという、思っていたよりもずっと大人な楽しみ方こそ核となろう。すっかり浮かれて本質を見失っていた自分に「このバカチンがっ!」とゲンコツの一つでもくれてやりたい。
気になった微妙な状況1 アフリカマイマイの殻を背負うオカヤドカリの貝殻争い

気になった微妙な状況2 グリーンアノール駆除トラップにかかったオガサワラヤモリ

しかし、市街地付近以外のほとんどが、国立公園法の特別地域か特別保護地区であるこの島では、採集も、決められた歩道以外の移動もできない。この条件の中、自力でこれらを堪能するには限界がある。ここでは勝手気ままに楽しむよりも、島で運営されているアクティビティへの参加が不可欠になると感じた。ちと金がかかるのが痛いが、生物多様性保全という観点からみるとやむを得まい。いつの日か、トレッキング系のアクティビティに参加して、詳しい人と島を歩いてみたいものだ。そして、夕日を眺めながら「進化の一端を感じちまったぜ…」などと遠い目をして黄昏てみたい。
そうだ、その後には海洋系アクティビティに参加しよう。妄想の世界も実はあるかもしれないし。
少なくとも青い海はあった




2020年6月2日火曜日

全か無か…なのか?

日曜日、自宅2階の息子の部屋で、息子のDSを拝借し、息子のベッドに横たわりながらテトリスにいそしんでいると、階下からかみさんと子供二人の会話がもれ聞こえてきた。

かみさん「・・・でさー、・・・だったのよー」
娘「えぇっ!それって相当ひどくない?」
息子「それ…、かなりのクズだよね…」
かみさん「そう、お父さんさー・・・」

会話の内容はよくわからない。
が、「相当ひどい奴=かなりのクズ=私」、という等式が、明確に頭の中にスクロールインしてきた。
どうやら私の過去の愚行について話しているらしい。
当然、どういった行動について批判されているのか気になるところである。
しかし、40数年も生きていれば、直ちにそれを確認してはいけないことはわかっている。理由を聞いて、ただただ傷をほじくりかえすという事態に陥ったことがあるからだ。
人は歴史から学ばねばならない。
同じ悲しみは繰り返してはいけないのだ。
気持ちを断ち切るように、私は画面上のブロックの穴にT-Spinを冷静に決めた。

さて、そんなことはさておき、先週、イトヨという魚について考える機会があった。
イトヨとはトゲウオ目トゲウオ科に属する淡水魚。ノーベル医学生理学賞を受賞したティンバーゲンの「鍵刺激」の実験で有名な魚である。
水中でその場にとどまるようにホバリングしたり、せっせと水草の破片を運んで巣を作ったりするので見ていて楽しい魚だ。
イトヨには一生を淡水で生息するもののほかに、サケのように海に降り、産卵のために川に遡るものもいる。両者は種レベルで分化しており、交雑してもその後の世代は続かない。

降海型のイトヨ(ニホンイトヨ) 20年位前の写真。写真がこれしかない…デジカメ無かったのよね…
最近話題に上がったのは、後者のほう、つまり海に行って帰ってくる方のイトヨ(ニホンイトヨ)である。この魚、日本だと北海道〜九州北部までの日本海側と、北海道から茨城県までの太平洋側の河川が分布域である。しかし、近年、日本海側では確認例が著しく少なくなっており、九州や本州日本海側では絶滅に近いいほど壊滅的だ。
もともと少ないものがいなくなるならばよくある話かもしれないが、ニホンイトヨの場合、数十年前までは本州日本海側の各地で普通に食べられていたくらい数が多かったそうな。新潟県では、春の始まりとともに大量に遡上するので、春告げ魚と呼ばれ、佃煮等で食されていたようだ。
新潟県内で激減、というかほぼ絶滅状態の今、地物のイトヨを食す機会はない。が、佃煮文化だけはかろうじて残っているらしく、北海道から取り寄せたイトヨで佃煮が細々と作られているとのこと。いつかどこかで出会いたいものである。

さてさて、淡水魚の激減はさまざまな種について言われていることであるが、生息している河川では大量にいたいわゆる「普通種」が、ここまで広範囲で劇的に姿を消した例は珍しいのではなかろうか。なにせ、日本海側の河川ではいっせいに姿を消してしまったのだ。秋田県レッドデータブックには激減の様が記述されており、八郎潟での漁獲量は、1991年の498kgをピークに、以降、39kg、21kg、35kg、3kgと漸減し、2003年以降の漁獲量は全く認められていなくなったという。
減少要因は、大体どこのレッドデータブックを見ても、堰堤による河川への遡上阻害、産卵環境との連続性の低下、産卵環境の消失、などが上げられている。もちろん、これらはどれも減少の原因であることは間違いないだろう。
しかし、私の知る範囲では、かつてイトヨがいたとされる川の産卵適地が現時点でゼロかといわれればそうでもないし、すべての川で遡上不能な河口堰があるわけでもない。少しくらいは残っていたってよさそうなものだ。けれども、やっぱりイトヨは見当たらない。

こうなると、なんだか原因は川だけでもないような気もしてくる。
亜寒帯を分布の中心とする魚だけに、海水温の上昇が問題なのだろうか。
はたまた、産卵環境の減少によって、個体群が縮小し、結果としてアリー効果が薄くなったために、急速に数を減らしたのか…。
ウウム、なんだかこれはアリー効果だけに、アリそうな気がする。
淡水型のイトヨはそこまで群れていない印象だが、降海型のイトヨはかなり群れる性質が強いと感じる。石狩川の河口近くの旧河道で自己調査をしていた時、春先になると、仕掛けた網かごの中に大量のイトヨが入っていた。ジャミジャミという金属音は今でも記憶に鮮明だ。海域でもきっとそのように暮らしているに違いない。実際、「知床の魚類」では、海域をサバのように群遊するイトヨの写真が掲載されている。
大量に群れないと大型捕食者の多い海の中での生残率が低下するというのは、可能性として十分あるのではなかろうか。
知床の魚類
これと似るのかどうなのかわからないが、ふと、北海道の海で、かつて年間100万トン以上採れていたニシンが、漁獲量ほぼゼロになるまでいなくなったことが頭をよぎる。喜ばしいことに、ここ数年は増えだしたようで、今年は精子で海が白く染まる現象「群来(くき)」がかなり見られたようだ。ぱったりといなくなり、しばらくして急速に復活した形だ。イトヨとは事情が違うかもしれないが、同じようにイトヨが復活する日が来ないものだろうか。
そんなことを思いながら、再びブロックの隙間に長い棒を決めた。

<参考文献>
・秋田県. (2016). 秋田県の絶滅のおそれのある野生生物 2016 秋田県版レッドデータブック (動物編).
・斜里町立知床博物館編. (2003). 知床の魚類. 株式会社 北海道新聞社

2020年5月27日水曜日

鮭の飯寿司

「村上って何が有名なんですか?」
ここ数年、新潟県、とりわけ新発田~村上までの範囲の現場が多い。
調査の内容はいつもどおり河川の調査であるわけなのだが、今回は人の都合で普段は猛禽調査を担当としている後輩と来ることになった。このエリアに来ることはめったにないらしく、食をメインにいろいろと興味ありげだ。

「あぁ、この辺りはサケが有名だね。」
私はといえば、このエリアには何回も来ているし、なによりこのところあまりいい出来事がなく、どうも気分が上がらない。返答も少々投げやり気味だった気がする。
どうにも気分の差は感じるが、後輩の気分まで下げるのは良くない。とりあえず、なにかそれっぽいものを食べたそうだったので、着いた日の夕食は宿泊地近くの寿司屋で越後寿司丼なるものを食す。1650円也。通常、現場の食事をスーパーで納める私的には、ほぼ3食分の値段である。
美味かった。確かにうまかった。寿司丼にかけるカナガシラの魚醤も独特である。が、この魚醤の塩味がやや尖っていたように感じたのは、気持ちの問題なのか、実際にそうなのかは今一つ判断がつかない。
越後寿司丼(角力軒さん:全県的な取り組みだったのね…)

さて、彼の欲求は越後寿司丼でとどまることはなかった。
翌日の調査は昼頃に終わった。
昼食は前日のスーパーで仕入れていたはずだが、「昼飯どうします?」の質問に、それを感じ取る。こうなっては仕方があるまい。
村上の市街地へ向かうことにした。

とりあえず、「きっかわ」さんの「酒びたし」用に大量のサケが干してある場所を案内する。干し鮭の壮観な眺めや、ずらりと並んだサケの加工品を前に、だいぶ満足した様子がうかがえる。まぁ、ここは鉄板ですわな(昼飯そのものは財布が苦しいので、市街のラーメン屋にしたが…)。
私は何度か来ているので、もう少し他のところを見てみたくなり、違う店をぶらぶらしていると、変わった飯寿司を見かける。
きっかわさんの店奥に干されたサケ、圧巻


「む…サケが生?」
そう、これまで飯寿司は何度か食べているが、どれも塩鮭を使っているのか、干鮭を使っているのか、いずれにせよ鮭の身がしっかりとしていた。しかし、「うおや」さんの飯寿司の鮭は、いわゆるお寿司のサーモンのように柔らかそうではないか。
衝動的に買ってしまった。食すと、麹による発酵の風味が主体で、塩っぽさはなく、ほんのり甘い上品な味である。食感も鮭をはじめ、全体的に柔らかい。
そして、酸味は一切ない。
これまでの飯寿司は基本酸味が強かったので、この味は衝撃であった。
中には大根、ニンジン、カズノコ、鮭、イクラが入っていて、イクラも味付けなしで弾力が強い。こいつはクセになる。次はもっと量を買ってもいいなぁ。。
陳列された飯寿司


食い尽くしかけた飯寿司

味云々もそうなのだが、私的には久々に何かを書いてみようという気になったのも大きな収穫だ。このところ、どうもあらゆることが面倒くさくなっていて、できるだけやることを減らそうという意識が強かった。結果、ブログなど忘却の彼方にあったのだが、やはり毎日仕事を受け身にこなすだけでは精神がやられる。
と、いうか、いつの間にか時が過ぎてしまった感覚になるのだ。
へたくそな文章でも書き残しておきたいなにかがあることは良いことだ。
忘れていた気持ちを思い出させてくれた後輩よ、ありがとう。

同行者がいる場合、可能な限りテンションは高いほうに合わせたほうが楽しいですな。

2019年12月19日木曜日

喉黒飴の

CMで、川で瀬川瑛子とのどクロちゃんが、魚を捕らえているシーンがあった。捕まえている魚はブラウントラウト。もはやニジマスですらないことに時代の流れを感じる今日この頃である。

2019年12月1日日曜日

庭で

燻製を試作してみることに。
とりあえず、市販の燻製キットを購入。付属のスモークウッドでやってみたが、出来栄えはなかなか。燻製時間は一時間ほど、ちゃんと出来るようになってるもんですな。


翌日、竈門として軽量ブロックと煉瓦を積み、中にカインズの2千円弱のバーベキューコンロを突っ込み、そこに燻製器を載せてみた。
が、燻製器の熱が上がりすぎ、入れたちくわがが膨張&消し炭化してしまった。
熱源を使うと温度管理が難しい。


そして今日、熱源と燻製器の間にブロックを入れて隙間をつくり、再チャレンジ。前回の反省から炭も少なめにしたが、今度は温度がなかなか上がらない。60度から80度の温燻の範囲を長時間キープするにはそこそこ試行錯誤の経験値がいるかもしれない。




次は来週かな。なんだかうまく行きそうな気がする。