2013年3月7日木曜日

産卵行動体験記 ナマズ ~変・態・覚・醒~


最初に産卵行動を見た魚はなんですか?

私はナマズです。

学生の頃には、魚を調べていたこともあって、ナマズの卵や仔稚魚は見つけたことはあった。
しかし、産卵行動そのものを見たのは社会人になってからだ。
今から十数年前、確か、大学院を出て二年目だったと思う。

当時、私は北海道の調査会社に就職していたのだが、その折、大学院当時の指導教官から「アユモドキの産卵調査をするのだけど手伝えるか?」と誘っていただいた。
魚好きでこの誘いを断る人はいないだろう。即答で参加することにした。

向かったのは京都府亀岡市。私の学生時代のフィールドで、琵琶湖淀川水系に残る最後のアユモドキ生息地だ。アユモドキとナマズの産卵場所はよく似ている。

アユモドキ

ここで、少し話はそれてしまうのだが、今後の話に必要な情報なので、ちょっとだけ日本に生息する淡水魚の起源の話につきあっていただきたい。
日本の淡水魚は、日本がユーラシア大陸と陸続きだった時代に、大陸から入ってきたとされている。そして、その経路はざっくりといって2種類にわけられるようだ。一つは、ロシア側の川伝いで大陸から入ってきた経路(北側の経路)で、もう一つは中国・韓国側の川伝いで入ってきた経路(南側の経路)だ。
このうち、南側の経路からきた種類は、大陸南部の”雨季”と”乾季”のリズムが生活に染み付いていて、日本の”雨季”、つまり「梅雨」の時期を産卵期とする種が多い。そして、それらの種にとっては、雨による増水で川があふれてできた湿地などが重要な産卵場所となる。
しかし、現代では頻繁に川が氾濫しては困るので、川は洪水とならないようにしっかりと管理されており、増水でできる湿地などはそうそうあるものではない。

それでは、こうした魚たちはどこで産卵するのか?
そのヒントは人間の生活にある。
実は、私たち人間の生活の場にも、雨季と乾季に近いリズムがあって、梅雨の時期に水が入りだす環境がある。そう、水田だ。
ご察しの通り、魚たちも、”水田”および”用水路”を産卵場所として利用する。
アユモドキもナマズも、ともに大陸の南側に起源する魚であり、産卵する水域として水田と周辺の水路を利用する点で共通している。

さて、話をもとに戻そう。
当時、アユモドキがいる場所はだいたい分かっていたけれど、産卵場所はわかっていなかった。
正確には、場所の見当がついていたけれど、そこであるという確証がなかったのだ。

産卵場所だと見込まれていた場所は、川の中に設置された可動式のダムの周辺。
田植えの時期になると、ダムを立ち上げ、川の水位を上げて水路や水田に水を入れる。
つまり、ダムで一時的に川が増水してあふれたような状況となる。
この、ダムによって水没した場所こそ産卵場であるという仮設をたて、そこで産卵の目視観察を決行することにしたのだ。


ダムは朝に立ち上がり始めた。
水位は順調に上がり、それまで草むらだった場所が水没し始める。草間に潜んでいた昆虫たちは「うわぁ~」とばかりに草を上り始め、ついには水面に浮かびだした。
そうすると、次は水面に波紋がたち始める。
波紋を起こしていたのは魚。チャンスとばかりに水面に浮かんだ昆虫を食べはじめたのだ。

「増水って昆虫にはなかなかシビアなイベントだなぁ」などと思いながらすごすうち、お昼過ぎには水が水路に入り始めた。

すると、水路からなにやら水音がする。何かが水路を遡る音だ。

それは何か?

正体はナマズだった。
普段は石の隙間などに隠れて見えもしないのに、無防備さたるやなんたることか、水深3cm程度の浅い水路を背中を出して上っていく。
彼らにとって増水とは、かくも刺激的なものかと驚いた。
一本、また一本と、20本ほどのナマズがあがった頃、水路の水深は深くなり、ナマズの姿も見えなくなった。



さて、その頃にはダムの貯水位はほぼ満水となっていた。
時はすでに夕方。アユモドキの産卵場とにらんでいた場所もすっかり水に浸かっている。
主役を放っておくわけにはいかないので、私は自分に与えられた持ち場に着き、観察を開始した。

しかし、水に浸かった草むらを眺め続けること数時間、残念ながら”主役”の産卵らしき様子は見えない。いや、2度ほど姿(らしきもの?)が見えたのだが、水が濁っているのと、懐中電灯の弱々しい光では何をしているのかさっぱり分からなかった。そもそも、懐中電灯で照らせる直径1.5m程度の円の中で、産卵のようなイベントが起こる可能性はとてつもなく低く思えてきた。



「こりゃ、厳しいや…」、どうしようもない敗北感を感じ、持ち場を離れて散歩することにした。


向かったのはナマズの遡上していた水路だ。
闇の中、懐中電灯で水路を照らしながら歩いた。
ほどなくして、水路の途中にある桝で何かが動く。

ヌラリ…ヌラリ…

ナマズだ。
音がするわけではないのだが、ナマズは産卵時、雄が雌に巻き付く行動をとる。この様を、水上から見るとまさしくこんな表現が適切かと思う。
観察者である私などいないがごとく、一心不乱に絡まりあっていた。

ナマズの産卵1:ヌラリ・・・ヌラリ・・・の図


ナマズの産卵2:オスが巻きつくとちょっと停止する。
その後、はじけるように2尾が別れるのだが、放卵放精はこの時か?


初めて見る魚の産卵行動に興奮することしばし、やや冷静さを取り戻すと、周辺でも「ザザッ」と草が揺れたり、「ピチャ」と小さな水音がしていることに気づいた。

「もしや」と思い、ライトを向けると、なんと、同じような光景はそこかしこで展開されている。
水路も、水の入った休耕田も…

想像して欲しい。
暗闇にあなた一人、周りは何かにとりつかれたがごとく次の世代を残そうとする魚達の艶めかしい光景に囲まれている。
そんな状況におかれたとき、何を思いますか?

怖い?
気味悪い?

私にはあまりそういった感情は浮かばなかった。
私の目に彼らの姿は、これまで誰からも教わったことのない、あえて誰も教えようとしなかった、いやいや、むしろ目につかないように隠されている、それでいて、人間も含む生き物が生きていくのに欠かせない、とても大事な一面を体現しているものに映り、ただただ見入った。

この一種独特な感覚は、産卵を見るときは今でも感じる。
特に、自分一人で見ている時に強く感じる。この感覚を味わいたくて、今も産卵を見に出かけるといってもよい。
いうなれば、この時は、私が産卵観察マニアへと覚醒した時だったといえる。仮面ライダーで言えば、変身ベルト(ドライバー)を手に入れた瞬間だ。


さて、観察は日付を超えるまで続けたが、結局この日は肝心のアユモドキの産卵は確認できずホテルへと帰った。
翌日、私はナマズとの出会いを期待して同じ水路に行った。
朝にはまだ産卵している個体もいたけれど、その数は昨晩と比べて少なかった。そして、夕方にはもう、産卵する個体は見かけなかった。
1年のうち、初夏の増水した日、その後の極めて短い期間だけが彼らの宴の時なのだろう。

時が過ぎれば、再び元の川に戻って、岩陰ですまし顔で暮らしているに違いない・・・

そんなことを思うと、昨晩は普段は出さない彼らの本性を見ることができたように思えて、再び妙な喜びがこみ上げた。

追伸:当時私はたいしたカメラももっておらず、撮影時間帯が夜中なのもあって、ろくな写真が撮れていません。今も機材面(技術面も)が充分であるとは言えず、行ってもあまりいい写真が撮れる気がしません。そのため、毎年、ナマズの産卵期(梅雨の時期)になると、「高感度に強いカメラならいけるかなぁ~」とか「ちょっとまともなフラッシュが必要か?」などと物欲が刺激されます。
自分も南方由来の種なのだろうか?

三尾で絡まりあう。ただしピンボケ・・・手前の草にあってる。