2013年8月3日土曜日

スーパープレゼンテーション


あれはまだ、中学生くらいの頃だったかなぁ。
英語の授業だったと思うんだけど、"海外の人から見た日本人のイメージ"みたいな話が話題にあがったんだよ。
そのイメージというのが「メガネをかけていて、首にはカメラをかけている。そして、事あるごとに写真を撮る、記憶より記録を優先する人たち。」、そんな感じ。
そうそう、ちびまる子ちゃんの"たまちゃんのお父さん"みたいな
それを聞いていて、当時の自分は「こんなのやだなぁ。日本人、そんなふうに思われているなんてちょっと恥ずかしいなぁ。」、そう思ったよ。

それがさ、ふと気づくといつの間にか今は自分がそんなふうになっちゃった。
おかしいでしょ?
でもね、当時のお父さん達を弁護するわけじゃないけど、「記憶より記録を優先する」っていうところは違うと思うんだ。
写真ってさ、その時の瞬間が写るわけじゃない。
で、撮ったからには後で見直すわけだよ。
普通の人が、撮った写真を見直したとき、真っ先に感じるのは何かっていえば、それは撮ったその時の情景じゃないかな?
つまり、写真って記憶の補助ツールみたいなものでさ、決して記憶と切り離された記録ではないと思うわけ。
でね、この情景を思い出すという作業、これがとても心地が良い。撮影したときから時間が経てば経つほどに浸れるものがある。思い出すのは基本的に良いことで、あんまり悪いことは思い出さないしね。

人間の記憶力はすごいけど、いつでもどこでも引き出せるかっていったらそうでもない。
たとえばさ、「子供が2才だった時の顔を思い出して」と言われてもなかなか思い出せないじゃない?多分、子供のように日々目にしているものは、今現在の姿に記憶が引っ張られて、なかなか昔を思い出せなくなっちゃうんだと思うんだ。
でもさ、写真に撮っておけば、あっさりと鮮明に当時を思い出すことができるよね。
今の姿と比べながら昔を思い出すというのは、普通に記憶をさかのぼるよりもずっと感慨深いものになるんじゃないかな。
子供の場合、今の姿があるから、小さい頃のかわいさがより際立つという感覚は誰しもあると思う。
多分、当時のお父さん達も、そういう思いを感じたかったからこそ写真をたくさん撮ったんじゃないかなと思うんだ。

そんなこんなで、自分も胸を張って”眼鏡をかけたカメラパパ”でいようと思う。
つまり、記憶の手がかりになる家族の写真をたくさん取り残していきたいと思っているんだ。
で、前置きが長くなったけど、本題に入るよ。
最近、写真を見直してみて、ふと気づいたことがあるんだ。
それは、「写真の背景が少ない」ってことなんだ。
背景は記憶をよみがえらせるのに必要な要素だけど、かといってこれだけ撮っていて、家族が写らないんじゃ片手落ちだよね。
だから、両方写しこまなきゃならない。
それを効果的に撮影するには、カメラにさ、新しいレンズが必要なんだ。
それは広角レンズといって・・・(以下略)

以上、"家庭内プレゼンテーション"の練習でした。
成功の自信?_
・・・・・・・・・ありません。

2013年8月1日木曜日

干潟に行きたい


メモリーカード類を整理していたら、カード内に残っていたチゴガニの写真が目に留まった。
写真のカニは、オスガニが鋏脚を振ってメスに求愛するウェービングという行動を写したものだ。
そういえば、今頃は干潟がカニ類やトビハゼで賑わう時期だなぁ。

ウェービングするチゴガニ

干潟はもっとも手軽に野性動物の行動を観察できる世界だと思う。
干潮時の良質な泥干潟の上にはトビハゼやカニ類など、いろんな生き物がかなりの数出てくる。
彼らは陸上で活動するので、観察するのに特殊な道具は要らない。
現地に行って、長靴でも履いて干潟の脇に立つ、そして、生き物を驚かせないように泥面をじっと見ているだけで、小さな異世界を堪能できる。
特に、初夏から今ぐらいまでの時季、川と海との合流点付近にできる河口干潟ではカニやトビハゼなどが盛んに求愛行動をしている姿が見られる。

ちなみに、この写真の撮影地は東京都だ。
実は東京湾には、チゴガニやトビハゼが見られる良質な干潟が複数存在する。
大体が電車の駅にも近く、アクセスに変な気を使わなくて良い場所がほとんどだ。
毎年、6月~7月にトビハゼの求愛を撮りに行きたいなぁと思っているのだけど、ここ数年はどうもこの時期は忙しく、願いかなわずという状況だ。
今年もムリそうだなぁ。