2009年10月13日火曜日

魚類学会の公開シンポジウム「国内外来魚問題の現状と課題」を聞いて

魚類学会の公開シンポジウム「国内外来魚問題の現状と課題」を聞いてきた。 
で、覚え書きのような雑感と与太話。 

個人的にこのシンポで知りたかったことは、1)漁業組合が義務づけられている放流で入ってくる国内外来種をどう扱うか?、2)一般市民がおこなう放流で広がる国内外来種をどうすべきか?、3)根本的に入ってきてしまった移入種は在来種および個体群にどういう影響があるのか?、4)既にいる国外外来種はどうすんのか?、という4つである。 
なにせ6時間にもわたるシンポジウムなので、どの話題も多かれ少なかれ議論されたのであるが、いずれも各論としては面白い話は聞けたものの総論としてばっちりと合点がいく答えは得られなかったように思う。 

とりわけ気になったのは2)の話題である。 
これは、かいつまんで説明すると、近所の川に「魚よ戻れ」と、購入してきたり捕まえてきた他の川のメダカやコイ、釣りの対象種などをはなす、あるいは飼育しきれなくなった魚を殺すのは「かわいそうだから川に戻してやりましょう」と放流することによって、本来の生息地ではない場所にいろいろな魚が広がっていってしまうというものである。こうした放流は「環境のため」、「お魚のため」という気持ちから行われるため、「善意の放流」と呼ばれている。 
しかしながら、たとえ善意からうまれる放流であっても、本来の生息地ではない場所に放流することにより、元々いた種が競争によって排除されたり、交雑によって元々いた種が持っていた固有の遺伝情報が損なわれたりする、といった問題が生じるため、厳に慎むべきであるというお話である。 

ここで問題なのは、放流するのは魚類の知識に富んだ人ではないということである。すくなからず野生生物の知識がある人間であれば、以上の理屈は納得がいく人が大半であろう。しかしながらこの問題の本質は放流する人間が一般市民であり、彼らの目的は「地域固有の在来種や遺伝資源を守る」ことではなく、あくまで「その川に魚が住むこと」であったり、「生き物を殺さずに自然に戻してやる」事なのである。シンポジウムの公開討論ではそういう人たちに「理屈を話して理解してもらって慎んでもらう」というところで収まった(?)が、はたしてそんなことは可能であろうか? 
個人的には、「地域固有の在来種や遺伝資源を守る」ということには、一般の人々にとって「魚の住む川を取り戻したい」とか「今、目の前にいる魚を自然でのびのびと暮らさせてやりたい」という動機に対して、その意志を覆させることが出来るほどわかりやすい内容ではないように感じる。なぜなら、「地域固有の在来種や遺伝資源を守る」すなわち「遺伝的多様性を保全する」ことが「人にとって」どういう意味を持つのか、なぜそれをせねばならないのか、そこを明確かつ簡潔に説明することはどうしたって難しいのだから・・・。多様な系の方が安定するとか、多様であれば病気などの不慮の事態にも対応できるとか、何百万年もの進化の過程が刻まれているとか、いろいろと説明はあると思うのだが、どれも目に見えないし、実証は困難である。どんなに理屈を言っても、目に見えるものと見えぬ物では見える方が力を持つ。 

本気でこの問題のこれ以上の拡大を防止するには、それこそ外来生物法で移動を規制したように、国内種についても法規制をかけるしかないかと思ってしまう(たとえば動力付きの乗り物で輸送するのはダメとかわかりやすく)。この問題の発端は遠くの水域の魚であっても簡単に買えたり、もってくることができるようになった事にあるのは多分間違いない。で、あるからしてその流れを止めようと思ったら、「それが出来なくなるようにする」というのが一番の近道であろう。別にこの問題に限らず、基本的には物量や金に頼らず、なんでも身の周りの物で何とかしてみようという心がけは環境問題全般にとって重要な発想だと思うのだが此如何に? 

各論だけど、オイカワの在来分布域が那珂川が北限かもという話は面白かった。